なにわ歴史街道を歩く・その一

日  時:1996年11月 2日(土) 午後1時半〜午後5時
案内人:なにわの語りべ「弁天町」 代表 井澤孝雄氏
      なにわことばの集い 常任世話人 小阪章夫氏(塾生)


 雨を心配しながら家を出たのでしたが、たんだん暑からず寒からずの好天になりなごやかに「なにわ歴史街道を歩く その一」がスタートしました。
 11時30分天王寺駅に集合してなにわともあれまずは○○ごしらえ、というわけで廣田屋へ直行。
この時は歴史街道のちょうど表側?を歩いたようで、その名もオートバイ街というのにはビックリ、昔は駄菓子屋街だったのだそうです。

楽しみにしていた廣田屋の豆ご飯定食をいただく前にちょっとビールでカンパイ。
私は戦後の食糧事情が悪い頃に育ち、豆ご飯もいろいろ食べましたが、いり豆入りというのは初めてで、さつま汁、豆腐のあんかけ、葱のぬた、それにお店自慢のじゃこのきんぴらとお漬け物、どれもあっさりしていてこれが大阪の味?とちょっとびっくりしました。勿論、満足しました。

 いよいよ上町台地北コース出発、融通さんこと藤次寺で現地集合組のメンバーと合流、ご住職とこの日特別参加の「なにわの語りべの会」の井澤さんからお話を聞き、以後は塾生の小阪さんと井澤さんのお話を聞きながらの散策となりました。
生国魂神社の前を経て、太平寺へ。太平寺ではお茶とお菓子をいただいて穏やかなお人柄が察せられるご住職の天王寺界隈の今昔をきき、記念写真も撮り・・・。太平寺は十三参りのお寺としても近隣の人々から親しまれている由、さりげなく手にした茶花を生けていかれた奥様のご様子からも「町の中のお寺」を感じました。

太陽がちょうど西のまわった頃、歌人藤原家隆の塚のある夕陽丘へ、このロマンチックな地名はその庵名にちなんだ由、なーるほどと納得。愛染さんで熱心にお参りしていたのは誰と誰?!清水寺 ン?と思ったら、やはり京都の清水寺とご縁があったよう、そして、安居神社へ辿りいた頃、もう夕陽は西に落ちていました。あの坂、この坂、登ったり下りたり、七坂の途中で佇んで眺めた町々、すっかり黄色くなった落ち葉を踏みしめて歩いた歴史の散歩道は私の懐いていた「大阪」におおいなる厚みを加え、懐かしく親しみを持たせてくれました。
では、その二をお楽しみに!


コース案内
谷町九丁目→真言阪→藤次寺(千百年前建立された藤原家を治める寺。別称:大阪の融通さん)→源聖寺坂→太平寺(日本三体虚空菩薩十三まいりの寺)→口縄坂→藤原家隆塚(新古今和歌集の選者の一人。鎌倉時代初期の歌人。夕陽丘は家隆の庵名に由来)→愛染堂(四天王寺を聖徳太子が建立した時四院を造営したが、その施薬院の後身。三重の塔は重要文化財で市内唯一の桃山時代の遺構)→愛染坂→清水坂→清水寺(崖の上で見晴らし良く、かってはここから島々が点在する大阪の海を一望できた・寛政8年・1796年には四天王寺亀の池が水源だと云われている玉出の滝もつくられた)→天神坂→安居神社(菅原道真が太宰府へ左遷させる途中、ここで安居の修法を行った。退廃した社を江戸時代に大丸の創業者が寄進。現在も大丸が総代を勤める。真田幸行戦死跡碑がある)→逢坂(解散)→天王寺駅



            
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