春日大社正式参拝・中旬の献と雅楽に出会う忘年会

講師社団法人南都楽所 楽頭 笠置侃一氏
日時:2000年12月3日(日) 正午〜午後5時

(1/2 ページ)

春日大社とは、

今から1300年近い昔、都が飛鳥の藤原から奈良の平城に遷った頃、都の守護と国民の繁栄をお祈りするため茨城県・鹿島神宮の御祭神・武甕槌命を平城京の東方、霊山と称される御蓋山の頂きにお迎えしました。
その後、称徳天皇の御世の神護景雲2年(768年)に今の地へ社殿を造営し経津主命、天児屋根命、比売神の三神を共にお祀りしたのが、大社の始まりです。
 武甕槌命(第一殿)と経津主命(第二殿)は先住の大國主命に、この国土を天孫に奉献するよう交渉し、無事大任を果たされた神様。 天児屋根命(第三殿)は 中臣氏(藤原氏)の遠祖にあたり、天照大神が天岩戸におかくれになった時、占いをし祝詞を奏してお出まし願った司祭神。比売神(第四殿)は天児屋根命の后神とされます。
 奈良時代に藤原不比等が創建した藤原氏の氏神。平安時代、かの藤原道長をはじめ貴族の間で春日詣が流行し、中世以降は武士や庶民にも広まりました。 
 三条通りの突き当たり、一ノ鳥居(重文)から始まる長い参道は万葉の春日野を貫いて深い森に吸い込まれ、最奥に朱塗の社殿がしずまる。     南門(重文)をくぐると幣殿(重文)、白砂利の庭をへだてて中門(重文)、さらに奥に本殿4棟(国宝)がまします。回廊(重文)につるされた釣灯籠が絶妙のアクセントになり、王朝絵巻をひもといたような華麗な優美さ。石灯籠、釣灯籠あわせて約3000基に灯が入れられる萬灯籠(節分と盆)は文字通り幽玄の世界をかもす。参道途中に春日大社神苑、多数の国宝・重文を有する宝物館、南門前から御間道(おあいみち)をへだてて、12月の「おん祭り」で有名な若宮神社がある。              



中旬の献

 本来は1月7日の祈祷始鹿島立神事の参列者に饗されるものなのだそうですが、本殿に参拝後、希望によりその直会(なおらい)として食する事が出来る。直会とは、お祭りで神様にお供えした品(神饌)を頂戴する習しの事で、昔は上旬、中旬、下旬の献があった。
中旬の献の歴史は、今から850年前――法性寺関白藤原忠通の御願によって始められた旬祭(しゅんさい)というお祭に遡る。これは古儀のひとつで、宮中と春日大社のみに行われているお祭なのだとか。
 お料理の内容は、白むし、鯛のつくり、鰤(ぶり)の焼物、牛蒡大根の酢物など…。古代食のルーツともいえそうな古式神饌。【10名以上で要予約。5500円】







                  右上へ →
                           
雅楽とは

 「雅楽」という言葉は、俗楽に対する「雅正の楽」という意味をもっており、大宝令(701)で創設された雅楽寮(うたまいのつかさ)で所管された外来の音楽と舞を指していた。現在、雅楽という言葉は狭義ではこれら外来の音楽と舞(管絃・舞楽)のみを指す場合が多いが、正式には日本古来の音楽や舞(国風歌舞)や平安時代に新しく作られた歌曲(催馬楽・朗詠)を含めた総称を「雅楽」と呼ぶ。
1200年以上も形を変えることなく綿々と受け継がれている。また、現存する合奏音楽としては世界最古と言われており、その音楽的あるいは歴史的価値が高く評価されている。






管絃とは

 「管絃」というのはその言葉が示すとおり、管楽器と絃楽器(+打楽器)による合奏です。オーケストラの日本語である管弦楽という言葉はこの雅楽の「管絃」を引用して作られており、今日使われる音楽用語は雅楽用語から派生したものが多くある。
「管絃」は雅楽の中でも外来音楽を起源とするものに含まれている。この外来音楽には以下のような種類がある。


(1) 唐 楽(とうがく)…中国・ベトナム・インド・ペルシャなどの音楽を起源とするもの
(2) 高麗楽(こまがく)…朝鮮・渤海(現中国の東北地方)の音楽を起源とするもの
この内、唐楽には合奏曲である「管絃」と舞を伴う伴奏曲である「舞楽」の両方がるが、高麗楽には「管絃」はなく「舞楽」のみ。
楽器のみによる合奏である「管絃」に対して、舞を伴うものを「舞楽」と呼ぶ。「管絃」ので説明したように、「舞楽」には唐楽と高麗楽の2種類がる。唐楽による「舞楽」を左方(さほう)、高麗楽による「舞楽」を右方(うほう)と呼ぶ。また舞そのものをそれぞれ左舞(さまい)・右舞(うまい)とも呼んだりする。
 舞楽の場合には曲のテンポなども管絃と比べてリズミカルに演奏され、管絃と同じ曲であっても舞楽の場合には拍子が違ったりする。
 また、雅楽の舞は型の美しさを楽しむものが多く、ストーリー性のある舞はごく一部。



次のページへ進む

『概略報告』のページに戻る