夢と志がカタチになった建物 「練」  − 六波羅雅一講師

 
 

■異世界へ迷いこむ?


  いやあ、なんかしらんゴッツイもん、二つも見せてもろた夜でしたヮ。ワシ、こんなん知らんわ、という代物で、一つが、ボロボロの古びた町屋を、ちょっと見た事ない店舗に作り替えるおひとが居てはるんですわ。もひとつが、着物の由来というやっで、十二単、そ、ジューニヒトエを一から着て、また順に脱ぐという荒業が出ましたで。そら見モノでしたでえ、手間かかりまんのや、これが。

  ――というわけで、やって参りました、地下鉄駅は鶴見緑地線の松屋町。そ、マッチャマチの3番出口を上がりますと、右手の路地奥に不思議な建物が見える。このあたりは、いわゆる上町台地の南の端っこになるので、谷町の文字通りに大阪では珍しく上がったり下がったりの高低差があって、昔ながらの石段と石畳がいっぱいある町屋街。不思議な建物も、坂と石段をあがったドン詰まりに建ってます。まるで、こっちとあっちの間に不思議バリヤーが巡ってる異世界のように。
  
  すぐ南を、松屋町筋側から上町筋まで、つまり東西に通称"からほり商店街"が伸びてます。そう、太閤さんが造った大坂城の最南端というお堀の名残り"空堀"が地名になってる。これがまた個性豊かな商店街で、「まさかこんな都心に、そっくり戦前の面影を残したままの界隈があるなんて!」と、感動ものの昔ながらの商店街。とくに、一歩裏へ入ると、昔のまんまのこだわりの残る豆腐屋、さかな屋、昆布屋なんぞが残ってて、隙間にも石畳、地蔵堂、祠、井戸、そして上を見上げると銅板葺きの屋根やイチョウの大木という古色蒼然ぶり、いったいこれはナニゴトであるかと唸ってしまうほど。
 
  この"まるでタイムスリップ気分"は、このあたりが先の大戦で空襲を逃れた地域だからと説明されても簡単に納得できるものじゃない。なにか摩訶不思議パワーが働いてるんですよ、コレは。


■「練」という不思議空間が

  とくに、「温故知新」というほとんど死語になりかけの言葉が、息をふき返したように見える建物がイクツか目立つ。え? オンコチシン? 古きを温め、新しきを知る・ ・ ・ 旧いことを学んで、そこから新しい価値あることを見つけ出すコトですよ。古くから伝わっているものや伝統って、当座に思い付いたものや短時間の考えでは、とても至ることのできない真実や工夫を秘めているものですよネ。
  とにかく、今夜訪問したのが坂道の上にたたずむ「練(れん)」という大型の木造建物。長屋門風の立派な門構えに、左手には大きな蔵まであって、まるで『千と千尋』の世界のような・ ・ ・これはタダモノではなさそう。

  それもそのはず、もと芦屋にあった旧有栖川(ありすがわ)別邸を大正末期に移築されて、永く蝋燭製造・販売をされていた旧家を改装したものという。お金持ちだったんですねえ。柱や梁など建築部材の一つ一つが大ぶりで、天井高も並みの民家よりずいぶん高い。それにかつては高価であったはずのガラス戸がふんだんに用いられて、なるほどと思わせるものがある。
その内部が、上手に改装してあって、10店舗ほどにも区切り、再構成してある。チョコレート専門のカフェ、手作りくれーぷの喫茶室、レトロな食器や雑貨のお店、個性いっぱいのメガネ屋さんまである。ここの2階奥のおばんざい屋「おばや」と名乗る飲み処のおカミさんってえのが、ちょっとした美形で・ ・ ・いや、他にもレザーバッグの工房や2階は後程紹介させていただく今日の頼政講師が運営されている着物や茶席のお店(たな)「salon de ありす」なども。そう、あっちを覗いて、こっちへ廻り、気分はもう"不思議の国のアリス"状態。

  もう、懐かしくって、でも新しくって、身心がリラックスしてしまう夢空間というのでしょうか。ワタクシこと、「都市評論」家という肩書きの名刺も持っとりますが、このよーな建物、あるいは利用のしかたは全国でも見たことありませぬ。先々週、奈良の橿原近くの"今井町"というなかなか結構な旧街へ訪ねてまいりましたが、あそこは伝統建物保存のほうに比重が高いのだけど、こちらはむしろ再活用に力が入ってるようで、まさに21世紀型の大阪根性に見えますゾ。


■”必殺仕掛け人” 登場

  で、これを仕掛けたのが、建築家の六波羅雅一氏。まだお若いのだけど、なかなかの根性の持ち主とお見受けした。いわゆる「からほり倶楽部」( 正式名称は、空堀商店街界隈長屋再生プロジェクトと、とても長いのである )というものを主宰されて、もう幾つもの実績がある。その解説というか苦心談の顛末を、2階の10畳もある本格和風の広間(ホントは、頼政センセのところのお教室ですヨ)で、スライド付きでしていただいた。集まった参加者はじつに30名の大盛況ぶり。・ ・ ・ 今日のお話は、ちょっと聞き慣れないのでむつかしそうだけど、他では聞けない貴重なお話です。

  まず、この建物の名の「練」の意味から。江戸時代、このあたりは瓦土の採取地だったそうで、この土をしっかり練るのが良い瓦を焼き上げるために必須だったとか。そして今、ここでは、「和」の中の「洋」、「洋」の中の「和」、「古」の中の「新」、「新」の中の「古」をしっかり練り込む、活気ある街再生プロジェクトが実践されているのです。だから、「練」なんですネ。
  この空堀地区には戦前からの古い長屋などの建物がたくさん残っている。そう、ちょっと得難い珍しい地区です。もう、壊れかけてるものも多いし、人も住まなくなって、空き地やまとまった敷地になると現代的なマンションにどんどん建て替えられている状況は、昨今ここばかりでなくどこの町でも見る――で、「からほり倶楽部」のシステムというのは、概ね次のようなことらしい。


■本物を残す、ということ

  しかし、この町が違ったのは、六波羅さんが「一度毀したら、再びつくれない」ということと、「今では再現できない本物の姿や味わいがる」ことに気付き、あえて「なんとか形だけでも残せないか」とアイデアをしぼったことであるだろう。彼は、石畳の路地や小さなお社(やしろ)も残ってて、独特の界隈(かいわい)性がある、と表現してました。"ご近所気分"というほどの意味でしょうか。

  そして、その残すためのアイデアというのが――まず、すでに古びて人が住まなくなったような長屋などを見つける。次いで、商店舗などに再利用できないか、と検討する。ただ短絡的に残そうとするのではなく、どうすれば収入を確保できるか、どうリスクを回避するかをきちんと考えていくのです。このような改修や改装には、けっこうおカネがかかるものだ(現代ビルの改装などと比べると、多分、倍額くらいになるのではないだろーか)。次に、趣意の説明会をひらいて、テナントの募集をする。テナントというより、この場合は、入居利用する趣意賛同者というほうがいいかも。だって、雨漏りがするようなボロボロの古家を前に現場説明するのだから。そこはもう、ネズミや虫たちの世界のハズ。それでも、申し込み倍率はけっこう高いという。すでに、このプロジェクトへの賛同者は300余人にもなるそうだ。

  そして、この古家の持ち主に再利用の同意を取り付けて、外観をできるだけ旧を保つようにしつつ、再利用のための改装をおこなう。費用は、持ち主とテナントで負担する。その上で、この建物を、「からほり倶楽部」が持ち主から一括で借りうける格好にして、さらにテナントに貸し付ける。イヤこれは、ナント革命的な手法であることか(と、ワタシめは驚かされましたヨ)。だって、古いハズのものを、まったく新しくしてしまう魔法のような手法ですもの。

■さらなる夢の実現へ

  すなわち、持ち主とテナントとからほり倶楽部の三者が、権利と費用と歳入のそれぞれを分担で受け持つのである。いや、彼は「ほとんど、儲かりません」と言ってましたナ。これまでは公の補助金のようなものは受けていないという。そう、自分たちの主体性を失いたくないと思ったら、そうでしょうねエ。幾つもの店舗を入れて、多勢でやると一人一人の負担が少なくなるのがコツのようだ。時間と手間と根気のいる仕事であるだろう。おかげで今は失われかけた素敵な旧い街並みがよみがえっています。若者たちがたくさんやってくるのにも、あらためて驚かされます。旧いものが、とっても新鮮に見えるらしいんですネ。

  もともと地元の住人自身が、この街は古臭いトコロ、キタナイところと自認していた。その古びた家を借りたいと言っても、本気とは理解してもらえず、まともに受け答えてもらえないほどの段階から、彼は始めているのである。それが、出来上がったものを見て、街の皆が歓声をあげたのである。良いものを、あるいは本物を、できるだけ長く使うって、なかなか21世紀的ですよネ。彼は、催事なども計画して、地元の人びとをさらに刺激しつづけている。
  ボランテイアか? と問うと、彼は「ボランテイアという言葉は好きじゃない。だって、やりたいことを、やりたいようにやっているのだから」と明快に答えた。そう、現代にあってもちゃんと志ある快男児が、ここにいるのである。夢や志を持ちつづけ実現するには、なかなかシンドイ時代であるけれど、ホラここにしっかりいるのである。エライ!。

  六波羅さんのこれからの課題は、さらに実績を増やして、ここに取り残されたように在来から住むお年寄りたちと、外から訪れる多くの若者たちとを上手に融合させ、さらに子供たちが皮膚感覚で記憶する界隈づくりを実現させることだという。エライ、ここでも"練"の思想は一貫しているのだ。









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