2004年7月28日 第7回なにわ大賞「大賞」を受賞しました。  
 
〜 表彰状 〜
大賞
熟塾 代表 原田彰子殿
あなたはなにわの活性化のために
その旺盛ないちびり精神を発揮され
素晴らしい成果をあげられています。
その栄誉を称え大賞を贈ります。
あんたはえらい!
 
平成16年7月28日
第7回 なにわ大賞選考委員会
 委員長 難波利三
 
第7回なにわ大賞「大賞」受賞によせて   原田彰子
 「評価というのは、自分がするものやおまへんで。人様にしていただくものです」とは人間国宝、竹本住大夫師匠のお言葉。
ただのOLが、10年コツコツと積み上げてきた小さな活動だ。蟻んこのような小さな活動だが、他の受賞者もそれぞれに奮闘されてきたなかで、今年のなにわ一番の"いちびり"ということで受賞いただいた。官に頼らず独立独歩で活動してきた熟塾としては大阪おこしを目的に活動されている民間の任意団体大阪名物研究会の「なにわ大賞」で受賞できたことを何よりも誇りに思い、審査員に、人様に、この小さな活動が評価されたことが何よりも嬉しかった。

  私がいただくのではなく、これは、一重に、ただ一重に、お忙しい中をご登壇いただいた講師の先生と、影になり日向になり支えてくれた塾生、それぞれの企画でお世話になった方々の御厚意を評価していただいたのだと、改めてこの10年間お世話になった一人一人のお顔を有り難く懐かしく思い浮かべていた。

 名誉も地位もお金も、親も子も旦那もいない、ないないづくしのただのOLが、小さな一歩を踏みしてから、10年。いろんなことがあった。母が急死したり、会社の再編で深夜までの残業地獄におちたりしながらも、時間を搾り出して毎月の活動をコツコツと、粛々と、ジュクジュクと行ってきた。

 介助犬のシンシアや、広島の原爆、中央公会堂のホールを舞台に「夢からはじまる。船場の夢 大阪の夢」には10年間の総集編みたいなイベントに挑戦した。

  なぜ、熟塾を主宰していくのか。「おまえ、何やっていの?!」と自問自答の日々。残業帰りに自宅で明け方近くまでパソコンで企画書をたたきながら構成を考え、イベント前には動員を気にしながら、土日や会社帰りに出演者の交渉にあたった。
何かしても日は経つし、何もしなくても月日は流れる・・・。昨今、世の中をうごかしているは、お金になるかならないか。受験に出るか出ないか。お金にならないけれど、受験にも出ないけどやらなければならないこと、身につけておかなくてはならない教育ってあったような気がする。政治家までも、1億円も受け取りながら、何食わぬ顔が昨今。そんな世相をながめながら、愚痴ばかりいっても何もかわらない。新しい風は吹かない。小さな、小さな風を大阪から送り出そうと動いている。『物やお金は分けると減るけど、感動は分けると増える』は、熟塾を主宰してきての私の持論だ。

 大阪が、関西が持つ"歴史力"は素晴らしい。掘れば掘るほど、様々に眠っていた人々が雄弁に語り始める。この大阪にどんな人が、どんな人生を歩んだのか。ビルが建ち並ぶばかりの大阪の、その裏の裏にある時代絵巻の素晴らしさに感嘆するばかりだ。

  どんな人生を生きるか。今は昔だが、昔を生き抜いてきた人々の力を今に復活し、活かすことはできないのか。
その夢物語の途中をまだ歩いているに等しい。

  もろて〜式(授賞式)で、「大賞」受賞の感想をといわれ、人前であまりあがったことがない私が壇上で会場に詰め掛けてくれた塾生の面々を目にしたとたん、目頭が熱くなってしどろもどろ。3年前に、演劇ワークショップで、舞台裏で林隆三さんにご挨拶したときも、小さいときからテレビで見ていた・・・と思い歳がいもなく、頬を染めて言葉を失い、しどろもどろの挨拶に面食らっている林隆三さんの表情に更にドキドキ、自分でも何を言っているのか分らないほど舞い上がっていた。多分、それ以来だ。

 会場には、産経新聞の女性記者の姿があった。上司から「おめでとう」という言葉をとどけてくれとのこと、昨年取材いただいた藤井さんから聞きつけて女性記者が私の前にいた。塾生仲間の花外楼の徳光女将からの花束も嬉しかった。

 翌日から、私はまた通勤電車の人。所詮、私は蟻んこだ。毎日、電車に揺られて会社の窓からどんよりした灰色の大阪の空を眺めている。

  「なんで熟熟を主宰していのか?」がこれが大課題だが、大阪に住んでいるから、そこに関西の歴史があるから、かって大阪を舞台に生きた人々の影法師を見つけたから・・・。今を生きる素晴らしい講師や塾生や人々に出会えるから・・・。「なにわライブ茶屋」を開きたいという大きな夢があるから・・・。

  10年やろうと思ってやってきたのではない。一回一回講座を開いて10年。
受賞の感想を聞かれて、あがったまま自分の口から飛び出した思いがけない言葉「次の10年もがんばりますので、宜しく御願いします!・・・???」に自分が一番唖然とした。なんせ心もとない私が主宰の熟熟。楽しい事があるけどなんでこんなしんどいこと、まるで修行のような活動の連続で、どこまでつづけられるかと心を曇らせていたところだったから、受賞挨拶に飛び出した自分の言葉に自分が一番びっくり!!

  評価されるって、期待されてるってこと?誰にも期待されないまま続けてきた活動を認知されたことによって、最近ちょっとお疲れ気味の原田の心にエネルギー補給。

  中国語で、頑張って!は「加油」。ここまで10年、これから・・・の峠に差し掛かってきた熟塾。人はどう頑張っても一人では何もできない。まさに、お互いに油を注ぎいれて、エネルギーアップ。その力が、大阪を、関西を、日本を、人々をエネルギーアップして、元気アップになるものと信じている。

  「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」岩手の宮沢賢治の記念館を訪ねたときに、「あぁ、ここは何もないけど、何かある町」だと感じた。森の梢からやってきた透き通った風に吹かれながら、賢治の面影をいたるところに垣間見れる所だと、心がなごみ、大地と緑、自然の中に生かされているたくさんの命の繋がりを感じることができた。
授賞式のあとの記念パーティに広がる沢山の笑顔をながめながら、あの涼やかな賢治の風を感じていた・・・。

  なにわ大賞に感謝します。原田は元気になりました。この元気を、これからもみんなに分けたくて・・・。皆様のお陰様です。そして、これからも宜しくです!ほんまにおおきに、有難うございます。原田彰子

なにわ大賞:もろて〜式)出席塾生

秋山建人、井村身恒、大森史子、鍛冶睦子、北原祥三、塩本妙子、下野讓、杉山英三、徳光正子、中島一、中山恵三、原季美子、林章、広里重子、堀内紀江、村上蕪芳、山口信夫、山本ゆき

お祝いに駆けつけた仲間たちと (前列右から二番目が選考委員長の難波利三氏)
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