義太夫三味線との出会い & 文楽鑑賞教室
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昨年6月より、企画している熟塾・文楽シリーズ
第三段「義太夫三味線との出会い」では、竹沢団吾氏を囲んで義太夫三味線の音色を満喫した。 文楽鑑賞で、初めて文楽の舞台を見た人が釘付けになるのが、実在の男よりも男らしく、女よりも女らしく、舞台一杯に情念を発する人形たち。 人間国宝の手にかかれば、人形に命が宿る。人形が演じていのではなく、人形が怒ったり、泣いたり、笑ったりするのは、芸の極みというしかない。 その次ぎに目を引くのが、顔中口だらけにして熱演する大夫。特に世話物といわれる市中で起こった出来事の舞台が大阪であることが多く、上方歌舞伎と同様、大阪弁での台詞回し。言葉を語るのではなく、人情を心を語る姿が目を引く。三味線は視覚的には地味、しかし、今回、間近くで義太夫三味線を聞き、お座敷で弾かれる細竿ではなく、客席一杯に響く太竿の魅力を学ぶことができた。 今回は、鳴門生まれの竹沢団吾氏が講師役。長く細い指先から繊細で表現豊かな義太夫三味線の音色が発せられた。 文楽では三味線は、時にオペラの序曲のように次の舞台転換を予感させるような曲を奏でる。また人物を音で表現する例をいくつか聞かせていただいた 町娘の利発さや、裾を引きながらしゃなりしゃなりと歩くお姫様の優雅さ。男性も町人と武士とでは異なるし、一人が登場する場面と多数の武士が駆けつけるのとは異なると、説明を受けながら三味線の音に耳をすますと、その表現力の豊かさが見事だ。舞台では、人形や大夫に目を奪われ、三味線はただの音として聞いていたが、それぞれに意味があった。 人物だけではなく、商家の賑わいや、住吉神社の前を様々な人々が行き交う様子までも効果音としても三味線は文楽をより劇的に演出していた。また、無声映画でチャンバラの効果音として耳慣れた曲は、文楽では寄せては返す波の音が起用さている。 初期の文楽ではたぶんこのようないくつもの三味線の表現があったわけではなく、単純な旋律をひくものであったが、同じ演目を何年も上演するうちにより効果的に場面を盛り上げる表現が編み出されてきたそうだ。 現在では日常生活の中で耳にする音楽のほとんどが西洋的なものが多い。邦楽に触れる事が少ない中で、生で義太夫三味線を解説つきで、劇中で演奏される例を多数聞くことができた。 文楽を構成する三大要素の一つの三味線、その中に、文楽を楽しんできた大阪人の暮らしや思やも生きているような気がした。(原田) 文楽鑑賞教室より 傾国阿波の鳴門解説:父さんの名は十郎兵衛、母様はお弓と申します・・・・・。いたいけな巡礼の娘おつるの悲しい台詞は人口に膾炙して親しまれてきました。「傾城阿波の鳴門」の八段目の「十郎兵衛住家の段」、通称「順礼歌の段」はくり返し上演される人気狂言です。 昭和5年(1768)6月、大阪竹本座再興の際上演されたもので、近松半二・八平平七・寺田兵蔵・竹田文吾・竹本三郎兵衛の合作。全十段からなる時代浄瑠璃で、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」や並木十輔らの「けいせい陸玉川」などの影響を受けていると思われます。 夕霧伊左衛門の話に玉木家(実は伊達家)のお家騒動、阿波の海賊十郎兵衛の巷説を取り混ぜた作品です。 ≪十郎兵衛住家の段≫ 阿波徳島の城主玉木家を勘当され、帰参を願う阿波十郎兵衛は、紛失した家宝国次の刀の議を命じられます。主君のためには盗賊となっても 議をしてみせると約束した十郎兵衛は、名前を銀十郎と変えて盗賊の仲間に入り、女房お弓と共に大阪の玉造に住家を求め、日夜刀の行方を追って辛苦しています。 お弓が一人で留守番をしているところへ飛脚が手紙を届けます。それは十郎兵衛ら盗賊の悪事が露見し捕らえられた者もある、早く立ち退け、との仲間からの知らせでした。いまだに国次の刀が見つかるまでは・・・・・・と神仏に願をかけるのでした。 そこへやってきたのは巡礼の娘。幼い時に別れた両親を捜してはるばる阿波の鳴尾から巡礼して歩いていると語ります。その巡礼の子おつるの身の上話にはっと胸を突かれるお弓。おつるこそ故郷に残してきたわが娘だったのです。切々と両親への思慕を訴えるおつるに、今すぐ抱きしめ母と名乗りたい思いにかられながらも、盗賊の罪が娘に及ぶことを恐れたお弓は親子の名乗りをすることができません。心を鬼にして国へ帰るよう諭しますが、母の面影も知らぬおつるにもなぜかお弓が母のように懐かしく感じられて、このままここにおいてくれと頼みます。そんないじらしい言葉を聞くお弓の胸は悲しみで張り裂けそうになりますが、心強くも泣く泣くおつるを追い返します。戸外からはおつるが哀しい声で「父母の、恵みも深き粉川寺、仏の誓ひ頼もしきかな」と歌う巡礼歌が聞こえてきます。それもしだいしだいに遠のいていくと、お弓はこらえきれずにその場に泣き崩れるのでした。しかし、今別れてはもう会われぬと思い直したお弓は、急いでおつるの後を追います。 入れ違いにおつるを伴って帰ってきたのは十郎兵衛。わが娘とは知るはずもなく、おつるが金を持っているのに目をつけ、その金を貸してくれと頼みます。しかし、おびえたおつるが声をあげたのをとめようと、慌てて口をふさいだのが仇となり、おつるは窒息死してしまいます。 おつるを見失い、力無く戻ったお弓はこの有り様を見て、最前おつるがどんなに両親に会いたがっていたのかをまざまざと思い出し、その両親に会いながら親子の名乗りもされずに追い返されあまつさえ、実の父親に殺されてしまった不幸な娘の身の上を思いやって涙にくれます。十郎兵衛もわが手でわが娘を殺してしまったことを知ると、後悔の涙にむせぶのでした。 嘆きのうちにも捕手の迫る気配に十郎兵衛は必至の覚悟。捕手を追い散らすと、おつるの死骸もろともわが家に火を放ち、夫婦は何処ともなく落ち延びてゆくのでした。 右上へ → |
文楽の三味線 |
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