女性初の文楽人形床山師との出会い & 新春文楽鑑賞会

講師:高橋晃子さん(女性初の文楽床山師)  特別講師:名越昭司氏(床山)・村尾愉氏(首係り)
日時:1999年1月9日(土) 
会場:国立文楽劇場

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 年恒例となった文楽観賞会。今年も「商売繁盛で笹持ってこい」でお馴染みのえべっさんの日程に合わせて観賞しました。その前に、熟塾恒例、文楽勉強会の第4弾は、女性初の文楽人形床山師、高橋さんとそのお師匠の名越さんに、国立文楽劇場の3階にある仕事場を教室に文楽人形の床山のお話をおうかがいしました。

女性初の文楽人形床山師誕生まで…
今年床山師になって11年目を迎える高橋さんですが、以前は、普通のOLだったそうです。このままでいいのか、と考え以前から興味があった床山師になろうと決意。東京から単身大阪にやってきて、現師匠の名越さんを訪ね、弟子にして欲しいと仕事場を訪ねたのが30歳の時。でも、名越さんの答えは、「No!」男性でも大変な床山師。朝から晩まで舞台がある限り、急なアクシデントのために舞台裏で、待機しなければなりません。日曜も夜も昼もない。時間的、体力的にきつい。婚期も逃すかもしれない…。長年床山として修行を積まれていた名越さんが高橋さんを思ってのことでした。
しかし、高橋さんは諦めずに、それから毎日部屋にやってきては、片付けしたり掃除したりし、連日押し掛けて無償で手伝う熱意に根負けにし、名越さんから弟子にする許可がおりたそうです。その後のご活躍は、今の文楽の舞台を観ていただければ、一目で分かりますよね。
 また、高橋さんの心遣いが床山師の部屋に現れていると思いました。床山の道具は本当にたくさんあるようだったのですが、道具は職人の命、料理人が包丁を大切にするように、1つ1つ使いやすいようにきっちりと引き出しに片付けられており、その引出しには何が入っているのかが一目でわかるように書かれていました。
また、文楽人形の髪型は女型40種類、立ち役80種類が基本になりその変形を合わせると200種類にも上るります。それを一つ一つ写真にとってマニュアル本に纏められた功績で、咲くやこの花賞を受賞されました。

かつらが出来るまで…
編み台を使って毛を小さい束にし、かつらの土台となるもの(蓑毛)をつくります。毛は、ヤク(ヤギに似た動物、チベットから輸入する)の毛と人毛(中国から輸入)を人形の感情の表現などに合わせて使い分けます。(髪の毛を振り乱して懇願する時や泣くときなどは、ヤクの毛を使います。これは、ヤクの毛がパサパサしいて広がりやすいため)ヤクの毛に白色と黒色があり、それも年齢によって使い別けます。

@ 0.3mmの銅版を叩いて、人形の頭に合わせ、出来た銅版に穴をあけ、蓑毛を縫い付けます。(メモ:歌舞伎ではかつら師と床山師が別であるが、文楽ではかつら師の仕事を行わなくてはなりません。)
A 蓑毛を縫いつけた銅版を人形の頭に釘で打ちつけます。
B 髪を結い上げます。人形の首にシミや汚れが付かないように、油を使わず結い上げなければなりません。結い上げた髪を固めるのは、今は整髪料(VO5!)を使用。乾かすのもドライヤーという文明の利器を活用。(昔は、炭火でいこしてやっていたそうです。)

高橋さんは風邪のため、主に師匠の名越さんから説明頂き、高橋さんはツゲの櫛と和紙をよった紐をうまく使っていとも簡単に、人形を目の前であっという間に結い上げて見せていただきました。
また、舞台で人形の小さなかんざしを抜くと、結った髪が解ける「しかけ」を抜くように見学者に指示され、指名された人が恐る恐る簪を抜くと髪がパサッと解け、凛とした女性の顔が、髪を振り乱し一瞬で取り乱した形相になります。見事に髪がほどける様子をまじかに目にした参加者から「わぁー」と歓声が上がったほどです。人形の顔に表情はありませんが、髪の変化で雄弁に心の動揺やその人の置かれた立場などを表現するのだと感心しました。男性の人形も、小さなかんざしを抜くと、落人の形相。
また、やつれた表情を出す時に、後れ毛を額にほそくたらすだけでも、人形の表情がはっきりと変わります。  説明の中で特に心に残ったのは、文楽に出てくる時代には女性には職業はなく、娘か結婚しているか花柳界の女性なのかで、髪型が変わったそうです。封建時代、正に「女三界に家なし」、ミスかミセスか、それ意外か、ある意味で文楽人形の床山は、封建制度の中で女性がどのような境遇であったのかを髪型というパターンと共に伝承しているのかもしれないなぁと感じました。
正直言うと「髪を結う」ということで、女性的な職場のような感じを持っていたのですが、お話を聞き、作業場や舞台裏をまじかに見学させていただくと伝統的な文化を支える現場はそれぞれの持ち場に命を掛けた職人さんたちの正に戦場のような真剣勝負の緊張感に満ちていました。
OL生活に自ら終止符を打ち、東京から大阪に移り住み、封建的な男性世界に足を踏み入れられた高橋さん。男性と肩を並べるだけではなく女性としての気配りや感性も大切にしながら仕事に打ち込まれている姿が印象的でした。
自分が髪を結った人形たちと共に舞台に立っているいう喜びと責任、自分自身は決して舞台の表には立たないけれど、地道な裏方さんたちの努力と思いがあって伝承文化は継承されていくのだと改めて感動しました。

首(かしら)について

首についても、村尾さんという首係りの方から、お話しを伺いました。

首が出来るまで
・ 人形の頭の大きさ、直径50センチ以上、厚さ20センチぐらいの檜材を四つ割りにした「木取り」から、首の寸法より一回り大きい立方体を基本に彫っていく。
・ 耳の後ろで2つに割って、中身をくりぬき、目、眉、口などのカラクリを仕込んで前後を貼り合わせ、別に作ったノド木(胴串)を指し込む。
・ 表面に薄い和紙を貼り重ねた上に胡粉(ごふん)などで彩色する。
・ 最後に首の目に墨をいれ「開眼」し、完成。

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大江巳之助さん作の首
現在文楽劇場にある首は約400程で、その殆どが文楽人形細工師・大江巳之助さんの作だそうです。
大江さんは阿波人形作りの4代目でしたが、阿波人形の興行が少なく家の仕事もないので彫塑家を目指していました。ところがある日病床でみたグラフ誌の文楽首の写真に阿波人形とは異なる力を感じ、家出同然で大阪の文楽座で8年間の修を積み、鳴門に帰っていたのです。
 その大江氏にチャンスが巡ってきました。昭和20年3月大阪を襲った空襲で四ツ橋にあった文楽座も爆撃を受け首のほとんどが焼失してしまい、復興した文楽座の舞台に並ぶ首の注文を受けることになるのです。四十歳からの出発でした。寝食を忘れ、首作りに没頭してその偉業を果たします。
それからほぼ半世紀、従来の首ばかりかハムレットやお蝶夫人、椿姫などの赤毛物、明治天皇や乃木将軍、NHKのテレビの録画で使われたアインシュタインなどの文楽以外の人形にまで創作の幅を広げていきます。
その探求心は、生涯尽きることがなかったそうです。首作り60年、「役者さん(人形遣い)はみんなが私の師匠」と裏方に徹した人生を真っ当されたそうです。
それらの首を、役に合わせ振り分ける首割りを、吉田文雀さんが決めるそうです。公演の3ヶ月程前になると制作から配役が発表され、文雀さんが首を選び出し、役名と人形遣いの名前を書いたエフ(和紙の小札)を付け、首係に渡されます。同じ種類の首でも1つづつ微妙な違いあるので、演目や役に合わせて舞台に上げるかどうかを検討されるそうです。


首係りの仕事
首割りが終わると、公演ごとに首を塗りかえます。
蛤等の殻を砕き水にさらして粒子をそろえた胡粉(ごふん)を、溶いた膠(にかわ)と合わせて白い塗料を作ります。悪役や武将などにはベンガラ(酸化鉄の粉)を混ぜ赤茶色にします。役の性根(しょうね)によって濃さを調節。また役によってさらに濃い赤色や黄土色に塗るものもあります。
首は公演毎に塗り重ねていくので次第に厚く重くなる為、一晩蒸しタオルで頭をくるんでおくと次の日にするっと和紙と共に剥ぎ取る作業を行ないます。
首を木地にもどし、胡粉を塗って下塗り、中塗り、上塗りと15回ほど繰り返し、3回おきにヤスリをかけ、最後はトクサという天然のヤスリで仕上げます。
 このようにして首は、傷んだところをメンテナンスしながら大切に使用しつづけると、100年から150年は様々な役として舞台に立つことができるそうです。


首以外について
首の材料は檜ですが、足は少しでも軽くするために桐で、手の関節部分は桜。親指は引っ掛けたりして破損しやすいので、椎の木を使うなど、文楽三百年の歴史の中で工夫されてきたそうです。

頭の色にあわせて手の色を塗り替えるそうですが、手は人形遣いの人が各自管理しており新しい演目が決まると仕事場に両手と頭が大量に並ぶそうです。
右手は主遣いが体の前で操るので短いのですが、「足遣い」が主遣いの腰に自分の体を密着させ、腰の動きによる約束事によって動くので、「左遣い」は少し離れて左手を操り、小道具を出し入れしなくてはなりません。
その為に左手は、右手よりかなり長く、指を動かす為にマジックハンドのような仕掛けがしこんであり、それを「差し金」というそうで、「誰の差し金か」は文楽の操り方から言われるようになったという説もあるそうです。



文楽鑑賞会に参加して
昨年、熟塾の鑑賞教室に参加して、私自身は今回で3回目の文楽鑑賞ですが、いつも新鮮な感動があります。
歌舞伎では「所作事」(しょさごと)といい、文楽では舞踊の要素のつよい「景事」(けいじ)の代表作でもある「寿式三番嫂」は、能の「翁」を下敷きに、大地を踏みならし天下太平、国土安穏・五穀豊穣を祈る儀式的なものに、二枚目と三枚目の二人がコミカルに華やかに踊り新春に相応しい舞台でした。
また今回は、床山師さんとか首係りの方のお話を舞台裏の仕事場を教室にお話を伺う機会を得て、本当にたくさんの職人さんの力で、文楽が伝承されつづけているのだということを学ぶことができました。
更に、今回は敢えて厳しい世界に女性として初めて足を踏み入れ活躍されている高橋さんにお会いし、働く女性の先輩として、又一社会人としてまだまだ甘えがあることを痛感し、勇気づけられました。本当に有難う御座いました。
また今回は、原田さんから開演前に聞いたアドバイス通り、終演後脱兎のごとく玄関口に駆け付けたお陰で今宮戎さんから笹を文楽劇場に授与する福娘さんから枡酒をいただき、今年は益々のご利益を頂けそうです。
新春の寿ぎと共に、皆さんにも「良い事がありますように!」と福運をこの報告書と共にお裾分け致します。
山岡美穂






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