語り継ぐ船場商法
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ベンチャー企業を育てた船場の別家制度 丁稚が何年で手代になったか調べてみると、早いので三年。晩いので十年。祖父も丁稚時代は修業が辛いので、四ツ橋に行って何度川に飛び込もうかと思ったと言っておりました。そういう時に、主人の奥さんである御寮人さんが生活を共にしているので、「もうちょっと我慢しはったら、羽織が着れまっせ」と、羽織が着れて足袋をはける手代になるまでもうちょとの辛抱やと肩を叩いて励ましていました。手代になると二人と同じことをしていては番頭にはなれないと、智恵を学びます。番頭の中で、傍においてお'きたい番頭を大番頭に格上げし、才覚もあり、独立しても大丈夫な若い番頭を大番頭と相談してのれん分けし、資金から夜具までもらって独立しました。主人の周りに別家が衛星的に存在し、主家に何かあれぱ別家が助け、別家に何かあれぱ本家が応援するという共営圏を作ったのが船場であります。 本家と別家が助け合いながら、企業を大きくしていくのが成長なのです。その為には力と、機敏さ、才覚を備えた者をどれだけ育てるかによって、器が大きくなっていくわけです。そのような成長が、戦前の企業の成長であり、あくまでも人本位でした。戦前の船場は、資本主義ではなく、人本主義やという人もあります。人作りで何が大事かといいますと、辛抱、耐えるということです。今の人は辛抱を知らない、すぐに職を変えたり、フリターの人が多くいますが、丁稚として働く人にも、昔は俺は別家になって独立するんやという希望がありました。今は四十四、五になると、肩叩きという形になり希望がなんにもない。船場は、ベンチャー企業を作るという機会を、別家制度で作っていました。 環状線の京橋の近くに戦火で寺院が焼け落ちて、墓地だけが残った中に大笹家累代の墓があり、表は大笹家累代の墓と彫ってあるのですが、裏面に左図が記してあるのですが、どう読むかというと「人には幸抱第一」と読みます。これは子孫に残した家訓であります。ここまで読んで五十点で更に深読みをすると、凝縮してみると「金」という字になります。 上は、私が創作した「感じ社訓」です。阪神淡路大震災の時に、大阪に出てくるまでに社屋がまっすぐ建っているかと案じ、無事を確認してああ良かったと肩のカが抜けました。これは大変だ、世紀末に、世の中何が起こるか分らない、形を持った社訓を作ろうと思い立ち、額に直筆で書きました。はじめのビックリマーク!は、初心忘れるぺからず、感激性を忘れず、マンネリにならない、創業の初心を忘れないようにする。2番目のクェッションマーク?は、今やっていることは本当にいいのかと疑間を持つということで、良いと思ってやっているが、いつの間にか時代遅れになったりしていないか、更に良い方法はないのかと考えるということです。三番目の三角形△は、人が一番、△を仕入先と、自社と、売り先が三位一体になっていると見てもいいです。○というのは、お金にも見えるし、禅宗では丸は宇宙を表します。団結とも見える。この四つさえ大切にしていれぱ、やれるんではないか。右肩上りの斜線は、企業の発展と永続をあらわし、この線は血と汗という事で朱色にしました。社訓を社長室に掛けても仕方がないので、社員が出入りする時に目に付く会社玄関の左手の壁に掛けてあります。和岡哲も後三年て創業百年を迎えますが、船場では百年続くところは少なく、このご時世で老舗がどんどん廃業しています。時代の流れに流されないよう必死の思いで頑張っています。 右上へ → |
商は笑なリ・船場冗句 最後に船場冗句(ジョーク)は、宝塚の脚本をお書きになっている香村菊雄さんの「船場ものがたり」の中にあったものと、私が付け加えたものです。昔の商人というのはたんに「これを買ってください」という言い方では誰も買ってくれない。いかに相手を笑いに巻き込むか、笑うと下を向い亡笑いません。上を向いて笑う。上を向けば、心が開き、そこに話を持ち出しました。それだけの可笑しみ、ジョークを駆使する人ほど、商いが上手で、かってはこのような冗句があった訳です。 @白犬のおいど (尾も白い→おもしろい) A黒犬のおいど (尾も白くない→おもしろくない) B太鼓のおいど (ドン尻→どんけっ、一番最後) C金づちの川流れ (金づちは頭が下がって流れていく →頭が上がらない。かなわない) Dうどんやの釜 (湯ぱっかり→言うぱっかり。口先だけ) E大和のつるし柿 (ヘタなりに固まっている。へたの横好き) F狼のおしっこ (木にかかる→気にかかる) G淋病やみの小便 (出そうででない) Hところ天の拍子木 (音無し→おとなしい) I竹屋の火事 (ポンポン言う) J便所の火事 (焼け糞→やけくそ) K夏のはまぐり (身腐って貝腐らん →見くさって、買いくさらん) L冬の蛙 (寒蛙→考える) M五合徳利 (一升詰まらん→一生つまらん) 笑いをとって、商機を得るのが大阪の商法ですが、こういう商法を京都では使いません;京都では朝廷、御公家さんの膝元ですから、品が良くなくてはいけません。京都では漫才は発生しない。笑は商なり。愛矯は肝心なるべしという大阪だから漫才が受けます。士は志なり、農は納なり、工は技なり、商は笑なり、笑いのない商売はつまりまへん。 つまらんもんには客きまへん。いかに笑って商売をするか、 これが今一番欠けている事ではないかなあ。今日本が景気が悪いのも、目本がちっとも面白くない。政治の混乱も、 士は志という、政治家に心がない、志がないためです。 脱皮、蛇行、蛇足で乗り切る船場の変革期 のれんを残すために、船場では婿養子制慶があり、いくら息子がいても不適切だと判断したら、娘に養子をとってきました。別の角度からみますと、本当の親子には会話が少なく、婿養子とは他人ですから、お互いに多少遠慮があり、冷静に話し合いができるわけです。実の親子はいつまでたっても、子供だという感覚が抜けません。そこに婿養子の効用があるのです。今は少子化で、船場では婿養子の制度がなくなりました。二人の娘は嫁ぎましたが、長女の婿が 今会社に戻ってきました。和田姓ではありませんが、会社の事についてよく話をします。お互いに多少の遠慮と本音で、冷静にキャッチボールができます。 本日は、語り継ぐ船場商法というテーマを戴きましたが、私がお話したことが、本当の船場商法かどうか分りませんが、船場で四十年商いをし、祖父をはじめとする船場の創業者と直に話を聞いたということでは、学者の説とは違うかもしれません。商いを通じて得たものというのは、歴史家や経済学者が理論で構成したものとは当然異なると思います。それに、今目お話したことは、過去の船場であり、これからの船場は、今までの船場と全く様変わりしつつあります。特に間屋制度がインターネット等の出現で姿を消す危険性さえはらんでいます。しかし、町の様子が変わっても、伝えるぺき心のあり方はインターネット時代になっても変わらない。商いというのは、商は笑なりで、商う人の人間性・心がより間われる時代になると思います。 今年は蛇年です。蛇は脱皮をしながら、大きくなっていきます。脱皮をしない蛇は死ぬという諺があります。蛇は蛇行します。まっすぐ行きません。蛇足、無駄なことです。蛇年ではじまった21世紀の船場は、先ずいかに問屋が脱皮をするか、そして、蛇行に耐える体力を持っか、蛇足、無駄をしないという意味での智恵をいかに出すかということに尽きるのではないかと考えております。 時間になりました。本目はご清聴有難うございました。 |
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