適塾は洪庵の号である「適々斎」から名付けられる。適々とは、自分の心に適っている道を押し進めていく。人から役せられず、即ち他の人から、お前はこうしろ、ああしろと言われないで自分の信じる所、自分のしたいと思っている所を伸ばしていくとの意味である。その精神を受け継ぎ学んだ塾生には、福沢諭吉や大村益次郎等が有名であるが、梅渓先生曰く「適塾に学んだ多く学生の内のほとんどが故郷に帰り、洪庵の金銭の多少を問わず人を看よとの教えを守り、無名の医師として地域医療に従事しました。更に調べると、人の嫌がる刑務所を回り罪人の治療に当たった塾生もいました。いつの時代でも、時代を支えているのは、一握りの有名人だけではありません。多くの無名の人々が、時代を支えているのです。」 |