◆落語ブームと言われるが
「落語ブーム」といわれているが、大阪では東京ほど感じられない。しかし、大阪でも、若い人や女性に落語愛好家が増えつつあることは事実。高齢化時代の今日、落語は安いし、誰でも楽しめ、笑いは健康のもとでもあるので、高齢者の余暇の利用、趣味として落語は最適。現代落語についてはあまり知られていないので現代の落語や落語家を語ることで、落語の普及に役立ちたい。
◆落語は「脆い芸」されど「格好いい」
落語は、聞く人の気分や雰囲気で評価される「脆い芸」。現代人は、短い笑いの芸に慣れていて、長い芸が聞けなくなっている。短絡的・瞬間的なものを求める。しかし、長い時間、物語を聞くのを好きという人もいる。扇子、手ぬぐいなどの小道具のみで話芸を展開する落語家は、洗練され、きれいで格好いい。和服で正座し、素顔で、声で演じわける「一人話芸」は世界でもだた一つ落語だけ。想像力が掻き立れられる。世界無形文化遺産になってほしい。
◆元祖落語とは
落語の祖は、寛永5年(1628年)まで遡る。京・誓願寺の和尚・安楽庵策伝が編んだ笑話集「醒睡笑」が始まり。落語は、説教をするお坊さんに始まり、今でもお寺や神社で落語会が開催されるのはもっともなこと。その後まもなく、京都では露の五郎兵衛、大坂では米沢彦八が辻噺で人気を博すようになる。大阪落語の祖・米沢彦八の名を後世に残すために、彦八が活躍した生國魂神社の境内では毎年、上方落語協会主催の「彦八まつり」が開催されている。
◆戦後上方落後史 まずは四天王から
戦後の上方落語の四天王と言われる六代目笑福亭松鶴、桂米朝、三代目桂春団治、五代目桂文枝のそれぞれの落語をテープで聞かせながら紹介。
六代目笑福亭松鶴の「天王寺詣り」には、庶民の情がにじむ。亡くなった人が非常に近い存在だった時代の彼岸の風景がよくわかる。松鶴は、力強くバイタリティがあり、「威厳のある怖いお父さん」のイメージだが、最も大阪弁らしい大阪弁を話し、戦後の古きよき時代を髣髴とさせる落語家。
桂米朝の「鶴」。「鶴」は前座噺ではあるが、米朝の場合は知性と品のよさが余韻として残る。松鶴とは対照的に前のセリフにたたみかける様に話す。呼吸、間のうまさが際立つ。上方落語の正統派の王様であり、大衆に浸透した人間国宝は、80歳にしていまだ高座に。長生きも芸のうち。ファントしてはありがたいこと。
桂文枝の「船弁慶」。天満生まれの独特の口調は、「はんなり」と評される。女性の色気を艶のある大阪弁で。明るく、可愛く、品があり、持ち味の大らかさは、聞く者を明るく楽しい気分にさせる。リアルな演技は迫真に迫る。遺作となった「熊野詣」が、1回しか演じられなかったのが残念。祈りの「熊野詣」は、人の心を浄化させた。
桂春団治の「祝いのし」。落語には「喜六・清八」という、アホとリコウが出てくるが、春団治は、アホの喜六が得意。間抜けの愛すべき人間味をうまく出す。観客に合わせた間と呼吸が絶妙。あまり、見台を使わないため、膝や腰が見え、その美しさとたおやかさは女性も適わない。75歳だがいまだ老いを感じさせず、まだまだおもしろくなるのではと期待が高まる。
◆多大な影響を残した桂枝雀
四天王に劣らぬ人気を博し、今の落語家の多くは大なり小なり枝雀の影響を受けている。優しさ、人間へのいとおしみが滲み出る人柄が、常に落語に現れる。古典落語を解体する名人ではあるが、そのくずし方が逆に古典の味を際立たせる。(テープで聴いた「日和ちがい」は枕の部分。全編爆笑といった感じ。)
◆枝雀の後
現在、上方落語家は200人を越える。それぞれが、強烈な個性の桂枝雀が亡くなってから個性を発揮している。言い換えると、枝雀の陰に霞んでいた落語家が輝きだした。誰を見ても面白い時代に突入。60代の三枝、ざこば、仁鶴などは後進の面倒をよく見る。
・主役は円熟の50代
主役は円熟の50代。桂文珍、桂南光、鶴瓶。そして、林家染丸、笑福亭松喬、桂雀三郎、桂文太、新作の笑福亭福笑、仁智、桂吉朝、桂都丸、桂雀松など。
・次代のリーダーは40代
芸歴20年前後で桂雀々、小米朝、文我、笑福亭 三喬、林家染二、新作派の桂あやめ、桂小春団治、12年目を迎えた桂宗助、桂文華、笑福亭銀瓶など。
・目が離せない30代
笑福亭生喬、桂こごろう、林家花丸、桂つく枝の「出没!ラクゴリラ」を中心に。
◆落語の中の言葉の魅力
「一人口は食えんけど二人口は食える」(持参金) *バツイチにはよくわかる言葉
「相手が勝ったりこっちが負けたり」(大安売り)
「一つ一銭のアメ一つなんぼや」(初天神) *大阪ならではの「まけてや!」
「めめずも蛙もごめん」(へっつい盗人) *男性ならでは・・・
◆おみやげをもって帰ろう
落語が好きでたまらない若い落語家たちが頑張っている。先入観にとらわれず、若い落語家の顔と名前をしっかりと覚えるまで2回、3回、4回、5回と見てやってほしい。できのよしあしはネタにもよるので、1回での判断はむずかしい。落語は、その人の頭の中にだけ描かれる世界。何にも残らず、「落語家の顔がかわいかった、男前だった」の印象だけでもいい。何かおみやげを持ち帰ってほしい。
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