井垣康弘先生は、38年間裁判所判事を勤められ、この4月に退職されました。最後の8年間は、神戸家庭裁判所に勤務され、97年10月には、神戸須磨連続児童児童殺傷事件の少年に対し、医療少年院送致とする保護処分を言い渡されました。その後も、少年の更正指導に携わり、少年は、昨年23才で社会復帰しました。
先生は、喉頭がんを患い、人工声帯を手で押さえながら、神戸事件の少年Aの更正と社会復帰までの経過とリンチ傷害致死事件(藤原正仁くん事件)について40分にわたりお話してくださいました。
◆神戸事件
14歳の時に事件を起こした少年Aは、22歳前に医療少年院を仮退院、去年23才で卒院しサポーター(弁護士、保護司、保護監察官、その他の先生たち)に支えられながら社会復帰をしている。
・少年Aの更正経過
男性は、少年院に送られてきた当時は、「殺してほしい」「死刑になると思っていた」「国が死刑にしないのなら、静かなところで一人で死にたい」と言い続けていた。医療院に移ってから面会に行っても「顔も見たくない!」と拒絶された。調査官、弁護士、少年院の先生たちも口々に「子どもだから生きていける」と励ましたが、彼にとっては迷惑な話で、理解できず憤りで一杯だったようだ。
その後、家族のようなチームを作り、父、母、兄、姉、祖父役の人たちが温かく彼に接した。その結果、言動にに変化が現れ、顔つきも穏やかになり会話もはずむようになった。
1年後は、「もし生きていけるなら無人島で一人で暮らしたい」と。
2年後には、「人間がいる所でもいい。少しの人間なら。信用できる人なら」と言うようになった。18歳になったときは、原因とされた性的サディズムは解消され普通の少年のようになっていた。教育的効果は明らかだった。
・遺族への説明と納得 そしてこらから
被害者の遺族には担当者が何回も会って少年(退院時は男性)の更正状況を説明した。遺族側は、説明を受けて「真人間になるなら」と退院に納得してくれた。
少年Aは、8年かかって再犯の心配のない人間となった。社会に戻った彼は、これから何十年も罪を背負って生きることになる。どういう人生を歩むのか、彼のこれからの人生が問われている。罪を償い、社会に役立つ人間になってほしいし、私も役に立つことがあれば何でも協力したい。
◆リンチ傷害致死事件(藤原正仁くん事件)
19歳の少年が、17歳の少年と彼の仲間にリンチされ殺された。被害にあった少年は、窃盗などで少年院に入っていたが、院内で仕事の資格もとり更正して退院し、バイトをしながら就職先を探していた矢先のことだった。一方、加害少年は傷害事件を起こし保護観察期間中であった。この事件を通して、井垣先生は、加害少年の更正にとって、被害者遺族とのコミュニケーションがいかに有効かについて話されました。詳細は資料をごらんください。(少年が遺族に宛てた手紙 産経新聞記事)
・被害者の父親と加害少年が対面 「線香をあげに来い」と
被害者の父親が、加害少年に対する審判廷で少年に会うことを希望した。法廷で、父親は、「心から反省ができたなら線香をあげに来い」と少年に声を掛けた。その言葉をきっかけに、その後、少年は少年院から11通の手紙を被害者の父親に送った。仮退院した時は、その足で被害者宅を訪れ線香をあげさせてもらった。
・償うということ
被害者側と少年側で示談が成立し、少年側は何十年もかけて自分で働いて1000万円程度の償いのお金を支払い、時々お線香をあげに行くことになった。一生かけての償いだ。
◆対話を通しての遺族と加害少年との関係修復
このように被害者側に十分に説明し、被害者側と加害者とのコミュニケーションを成立させ、促進し、両者の関係を修復することで加害少年の更正を図ることが望ましい。遺族は、「なぜ、わが子が殺されたのか」の真実を一番知りたい。加害者から直接聞いて真実を知ることが結局は、遺族にとっても癒しとなる。
◆生きていくことを許されるということ
イギリスで無期懲役となった少年が18歳で釈放され大学へ進学したケースがあった。 このケースでは「洗脳」という手段が採られた。犯罪を犯したAという少年が、「Aであったことを忘れてBとして生きろ」と徹底的に洗脳された。少年Aはこの世から抹殺されて少年Bとして生まれ変わることで、社会復帰が許された。
遺族と加害者との関係修復をもって加害者を社会に戻そうとする日本のシステムとイギリスの洗脳・抹殺的システムでは、日本のシステムのほうがはるかに優れている。生きていくことを被害者の遺族に許されるということこそが、社会からも緩やかに許されるということであるから。
井垣先生関連資料
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