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ありがとう! シンシア 〜エルモにバトンタッチ〜
2005年12月11日 宝塚ホテルにて
 18年前にオートバイ事故で車椅子生活を余儀なくされた木村佳友さんの介助犬として11年間勤めてきたシンシアが12月1日に引退し、シンシアへの感謝会が開催されました。熟塾は、シンシアを社会に認知してもらおうとシンシアが無名の頃から応援してきました。この度のシンシア感謝会に熟塾も招待され、原田彰子代表、星見夫美、塩本妙子、山本ゆきの4人が参加しました。

 シンシアと木村さん家族を応援する人たちの「やさしさの輪」がどんどん広がり、会場には大勢の人が駆けつけ、シンシアにまつわるエピソードを語り、シンシアに「ありがとう」を言いました。

 


木村さんの横でスヤスヤ(右がシンシア、左がエルモ)

 木村佳友さん
 
 
「12年前、シンシアは我が家のやんちゃな犬でした。介助犬となったシンシアのおかげで多くの人と出会うことができ、「やさしさの輪」が広がっていきました。自暴自棄になっていた時期もあり、シンシアがいなければ今の自分はいないと思います。これからは、我が家のペットとして自由に生きて長生きしてほしい。」

 
熟塾のシンシア支援活動もビデオで紹介されました

9年前を振り返って挨拶する原田代表

会場で紹介された熟塾の活動
  9年前の熟塾チャリティ講座「グッドガールシンシア」で着たトレーナー姿で挨拶 した原田代表

 「グッドガールシンシア」では耳の不自由な方々が「レッドベレーズ」を通して沢山ボランティアとして参加いただきました。当日ボランティアスタッフが出会うので、お揃いのトレーナーが目印です。シンシアの横顔は、何点かのイラストの中から木村さんに選んでもらったですが、実は私の作品です。

 もちろん手話通訳もつけ、質問コーナーでも耳の不自由な人から活発な意見や質問が飛び交いました。思い出のトレーナーを着込むと、9年前が蘇り、シンシアの初舞台が思い出されました。エンディングの曲も、木村さんもお気に入りで、高校生の時陸上部で気持ちを落ち着けるためイいつも口づさんでいた歌が「翼をください」でした。それがご縁で、紙ふうせんのご両人からライブで木村さんとシンシアにこの曲がプレゼントされるなんて!!私自身もとっても感動しました。

  それからも熟塾の講座には、木村さんが奥様共々、名誉塾生のシンシアをつれて受講いただきました。漢詩と中国酒を楽しんだり、オンブズマンのお話を辻弁護士からも一緒に聞きましたよね。大阪の蔵屋敷についても・・・。

 
懐かしい人たちにお会いしました
 介助犬シンシアのレシピエント木村佳友さんのお母様です。
 シンシアのブリーダーである松村さんと1996年1月に京都のPHPの新年会に行ったときに名刺を並べて自己紹介。介助犬シンシアのイラストが気になって「介助犬って何ですか?」

 「 では見に行きましょう。」と3月3日のお雛さんの日にケーキを持って、宝塚の木村さんの訪ねました。9年前お母様は初対面の私たちをにこやかに優しく迎えていただきました。

  そして今回もニコニコ笑顔で元気に迎えていただき、懐かしさでいっぱいでした。
 
 介助犬アカデミーなど、補助犬法の具体的な動きに大きく尽力されてきた美人で素敵な良妻賢母の女医さんの高柳友子さんです。「補助犬法」の立法化には高柳先生の尽力なしでは実現しなかった偉業だと敬服しております。

 実は、高柳先生が木村さんとシンシアとの初めて出会ったきっかけは、私たちが主催したグッドガールシンシアのイベントだったのです。もともと介助犬の関係者の方々と縁があり「こんな会があるよ」と聞いて、参加いただいたのですが、今や木村さんの心強いサポーター。

  アメリカから介助犬のレシピエントのダンカンさんが来られたとき、木村さんと一緒に講演を聞きにいきました。「障害は様々なので病気を診る医師と介助犬トレーナー、レシピエントの意向も踏まえて介助犬を育成する必要がある。」と高柳さん。何かが動き出す風の流れを感じ、とっても納得しました。

 
 元塾生の高野啓さんです。グッドガールシンシアを主催したときの、舞台班長として、「さぁ、頑張って!」と私の背中をそって押して司会進行役の私を励ましてくださった高野さん。

 いつぞや、木村さんと車椅子の展示場を歩いていたら高野さんの事を「お母さんですか」といわれ、私は有頂天。だって、とっても素敵な高野さんの娘に間違えられたのが嬉しかったのですが・・・。「えぇ、原田さんのお母さんですって。お姉さんって言ってほしいわよね!」高野お姉さんと呼ぶには気が引けるほどとっても素敵なマダム振りに憧れてるのです。(原田は独身だから、年齢は似てもマダムにはなれない・・・)いつも傍らで静かに見守ってくださっている素敵なご主人といつもペアです。

  グッドガールシンシアのイベントが終わった後にも、高野さんのお家が木村さんの自宅に近かったので、講演会で忙しいときなどには奥様の代わりに助手として様々な場所でサポートいただきました。

  塾生を代表していつも木村さんとシンシアをサポートしてくださった高野さんとシンシアが無事に介助犬を引退できたねぇと笑顔でツーショット!
 シンシアの後進、介助犬エルモのトレーナー・水上言(こと)ちゃんです。
グッドガールシンシアを見て、「私の進む道はこれだぁ!」と決断。講演会終了後、すぐにトレーナーの矢澤さんに飛びつき、すぐに大阪でのOLを辞めて東京の介助犬協会に飛び込んだのです。グッドガールシンシアの運営会議のときに、「誰かこのイベントを見て動くかもしれない。」それが言ちゃんだったのです。

  98年の4月と11月「介助犬協会」再彩市場出展ボランティアに行って、木村さんとシンシアと一緒に募金箱を持って歩いたり、グッズを販売したり、バザーをやったりで、私の家で眠っていたお鍋や湯飲みはこのときに供出しました。その大阪南港の会場で、言ちゃんの御両親にお会いしました。年頃の娘の決意を応援し、気持ちよく送り出してくださったご家族。特にお母様は看護婦で、西成で行き倒れている労務者の方々を援助しているとのこと。この母ありて、この娘あり。初心貫徹!

 介助犬シンシアに続くエルモ君のトレーナーとして頑張っています。 頑張れ!エルモ 頑張れ!言ちゃん!!

 右は塾生の塩本さんです。介助犬に興味があり、今回会場に駆けつけてくれました。 中央は、同じく塾生の星見夫美さんです。実はこの日を一緒に迎えられなかったので、私が一番心残りなのはご主人の星見さん(57歳の時事故で他界)です。

  熟塾旗揚げ当時、大阪ガスの社会貢献の窓口だった星見さんに介助犬の話しをすると、見に行こうと私が切り出す前に言われ、3月3日に宝塚に一緒に木村家を訪ねました。熟塾を旗揚げしたばかりでイベント運営に不慣れな私に多くのアドバイスをいただき助けていただいたのですが・・・その二年後に他界されました。グッドガールシンシアの運営はしんどかったけど、星見さんのサポートあればこそでした。

  星見さんが亡くなられてから奥様に塾生として参加いただき、この日もシンシアの引退をご主人に代わって見届けていただきました。毎日新聞「グッドガールシンシア」の出会いで星見さんの名前が出ています。だから、いつもその本を開けるときは星見さんと会ったようで・・・。天国の星見さん、シンシア、無事に元気に引退しましたよ!

 
紙ふうせんも応援に駆けつけて
木村さんが、陸上部の頃、紙ふうせんの「翼をください」が好きだったことから、紙ふうせんも木村さんとシンシアの応援を続けてきました。

 この日、会場に駆けつけた紙ふうせんは5曲披露。一曲目は、介助犬・盲導犬・聴導犬をテーマにした「補助犬トリオ」。続いて「あなたの風になりたい」、出来上がったばかりというシンシアに捧げた「シンシア」。そしておなじみの「翼をください」と「冬が来る前に」。

 シンシアもテーブルの下でうっとりと聴いていました。
 

シンシアありがとう! そしてエルモ、木村さんご夫妻と元気にね!  原田彰子

 「グッドガールシンシア」では企画を立てて準備を進めるなかで、生国魂(生玉)神社の薪能で突然入場を断られ、その時思い出したのが毎日新聞の「低すぎる介助犬の認識」。この動物研究家になら判ってもらえると筆を走らせると、東京から記者さんから電話があり取材したいと・・・「介助犬も盲導犬も入れない。」と主旨一環している主催者の態度は、私たちにも記者さんにも同じ態度なのであっぱれでした。

  誰が悪いのではなく、介助犬を理解する人を増やすこと。障害が問題なのではなく、障害が問題になる社会や設備が問題なのです。介助犬を得ても、それを受け入れる社会の人々の心が開かれなければ、道は閉ざされたままです。これからは高齢社会です。障害を得ることがあるかもしれないのです。障害者の問題は高齢者の、自分自身の問題にもなりえるのです。自分の問題として、障害者の置かれる立場や現実を見つめ考えることの大切さを教えてもらいました。

 9年前の私たちが主催した「グッドガールシンシア」は無名のシンシアの初デビューの舞台です。木村さんが私に「熟塾さんのお陰です」と言われましたが、木村さんそれは違いますよ。だからそう言わないでください。私たちがやらなくても『シンシアの人を幸せにする魅力』に引かれて、きっと誰かが同じことをしたでしょう。私たちに初舞台のお手伝いをさせていただき貴重な経験をさせていただきました。私たちこそお礼を言わせてください!
 
  「ありがとう。シンシア。木村さん、奥様、素敵な出会いを、ありがとう!」

 無名のシンシアと一緒にいたからこそ、気づかされたことが沢山ありましたよ。無欲な姿に心奪われていました。今人間はあまりに欲が深すぎる・・・。車椅子の木村さんと介助犬のシンシアと行動させてもらって、本当の意味でいい勉強になりました。

今回宝塚ホテルでのこの会に参加させてもらって、改めて沢山の人をシンシアは幸せにしてきたなぁと思いました。イベント「グッドガールシンシア」で目指した、介助犬を理解いただくこと・・・新聞・テレビに・ドラマに、国会にと本当に大活躍でしたね。沢山の方々の力が立法化を進め社会を変えつつありますことに本当に感動しました。諦めないで、進んでいくこと・・・みんなで頑張りましょう!!

 シンシア!本当にありがとう。 グッドガール! シンシア! 

 グッドボーイ! エルモ! 木村さんと奥様と共に元気に活躍してね!

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