1996年6月20日49歳で他界した弁護士高橋正毅氏との出会いをきっかけに、1994年10月、平成の適塾を目指し、「熟塾」を旗揚げ。西大寺の「善財童子」と同様に、小さいながらも様々な人々の教えを請いながら悟りを開こうと試行錯誤、ただ今熟塾の活動を通して修行中。
趣旨に賛同し登壇いただいく講師や塾生・関係者の協力を得て、自分でも時々何でこんなに一途なのかと戸惑う時があるほど大阪や関西の歴史・文化を学び、活動を続け、情報発信しようと働きながら自転車操業で奮闘中の「言いだしっぺ代表」。連絡先:BXI05250@nifty.com / TEL/FAX :0729-94-2856
私の「熟塾」との出会いは、96年秋に原田さんとお会いしたのがきっかけです。兵庫県丹波市市島町中で稲作を中心とした農業を営んでおります。 『専業主婦から専業農家へ』転身して1年目が大変な冷夏でした。米無い「パニッ ク」になり、そのことを機会に自分で生産したお米は、自分で売ろうと思いました。 自然はあまりにも残酷で厳しく、お米を取り巻く情勢も決して良くはないのです が、環境と身体に少しでもやさしい栽培方法で育てたおいしいお米を、皆様の台所へ 直接お届けする、といった方法で日々努力をしております。 私が自信を持って生産いたしました、コシヒカリ100%米「ちよえちゃん」を是非ご賞味ください。お値段は10kg:5,300円、 5kg:2,650円です(送料は実費)。 これからも「育てる」側と 「食べる」側とがお互いに「コミュニケーション」のとれる「新しい農業」をめざ して頑張りたいと思います。 農園奥たんば・代表 青木千代江 Tel/Fax: 0795-86-0690 E‐mail:chiyoemy@alpha-net.ne.jp URL:http://www3.alpha-net.ne.jp/users/chiyoemy/
1943年 大阪市生まれ。熟塾に数年前に『飛んで火に入った』夏虫です。 2003年3月に総合商社を定年退職後、文人画家を自称して世界の路地や港、島々など自分の好きなモチーフを描きながら旅を重ねています。雅号を『路次健』(ろじけん)としています。熟塾では、『専属イラストレーター』ということになっていて下手絵をときには提供させてもらっています。大阪の下町に生まれ育ったわりに大阪の文化や遺跡など何も知らなかったので熟塾で改めて勉強させてもらっています。 十三近くの新大阪のアトリエと言えば聞こえが良いですが、要するに陋屋での日常が、私にとっての「天国」です。世界の中でこの大阪をこよなく愛している「不良」会員です。今後とも、どうぞよろしくお願いします。(右のスケッチは自画像)
日本最古の官道、難波大道のそば、上町台地で生まれ、住み継いでいきます。'81からの3年、仕事で中国・上海で暮らしていた間に、太極拳を学び、帰国後に原田代表が主催される会合で披露したことが、その後に熟塾に参加させて頂くきっかけになりました。 大阪に今も残る古代の道は、九州そして朝鮮半島を経由して中国大陸、シルクロードに通じています。 そのすべての経路を調べ、たどることを夢見ています。
勉強嫌いで宿題せず、校庭の花壇の草引きをよくやらされ、オシロイバナなどの種を採っては蒔いて楽しんでいた。それが造園業を営む原点かな。 原田彰子代表とは、三堀(土佐堀、江戸堀、京町堀)町おこしプロジェクトで出会い、情熱的に大阪の文化を語る彼女が印象的で、即、入信(?)。住んでいる地域(八尾市)をきれいにしようと、10年間、電柱の貼り紙や捨て看板をほぼ毎日一人で取っては捨てています。花いっぱいの町にすべく花のボランティアグループを立ち上げ活動もしています。 日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)の会員。代表の池本元光さんは、以前、交通遺児を支援する赤とんぼ号に乗って、塾生の山本孝史さんと日本を縦断をしたそうです。メンバーには、北極で逝った河野兵市さんや、夫婦で世界一周の途中病気が見つかり、急きょ帰国療養をしながら残りの旅を続けるエミコ・シール、スティーブ・シールさんも。法務省保護司を委嘱され、更正保護に携わって4年目。非常勤の国家公務員ですが、ボランティアが基本です。 ( 03年5月の熟塾イベント「ハンギングタブロー・多肉植物でアートしましょう!」で講師。 05年11月17日の熟塾公開講座「大阪の犯罪傾向と少年犯罪」で2度目の講師を務める。)
毎朝6時すぎに、自宅近くの心斎橋の銭湯「清水湯」へ20年欠かさない朝風呂の超常連さん。「前日のアルコールを流すため」と悪友が!。肌の美しさ・艶を保つためでもあるらしい?。 粋な人生街道まっしぐら。三味線の稽古にも熱が入り、車に乗せてもらう人は、必ず、「チントンシャン」のテープを聞かされることに。御師匠はんたちとの交友も深く、遊びのコツを教るならこの人。熟塾一の「遊びの達人」。旨い所のポイントはお任せ。旅行主任者の資格も保持。本業か副業かはわからないが「木材市場」の営業部門のリーダーらしい。が、仕事の名刺は誰にも配らない。 1999年の大阪パワーアップ講座で講師の倉光弘巳氏と旧知の縁でスゴイ・モーレツ・ヤリテ原田姉御に深く感動し、彼女の側に居るようです。熟塾一座もこの人がいれば倍明るく楽しくなります。
友人の紹介で、96年4月の「春爛漫山桜舞う高取城・壷阪寺を訪ねるバスツアー」に参加。桜にはまだ早く、一ひらも咲いていなかったが、原田代表と食事をし、熟塾について熱く語る彼女に魅力を感じ入塾。塾生歴10年目。イベントの受付、瓦版の発送など裏方班をリードする。 会社を退職し、趣味に勉強に磨きがかかる。生涯学習で始めたリズム体操ははや3年目。05年10月には大阪中央体育館で行なわれる「体操フェスティバル2005 OSAKA国際大会」でグループによる演技発表を行なう。 スポーツが好きでリズム体操の他にゴルフと水泳も。水泳はクロール、背泳ぎ、平泳ぎと種目を問わず。花も大好き。暇を見つけてはデジカメ片手に花の写真撮影に出かける。PCのメモリーは花の写真でいっぱい。塾生仲間のホームページにも登場。自宅の庭に花が途切れることはない。
塾生歴10年。95年12月、ミニコミ誌で、熟塾が「ちんちん電車の車両を一両借り切ってイベントをする(ちんちん電車で忘年会)」ことを知り、熟塾に興味を持つ。翌年入塾。96年の「介助犬シンシア」応援イベント」で、「介助犬を世に出したのは熟塾」と自負。熟塾の実績はこの人なくして語れない。原田代表のご意見番でもある。 「POLEPOLE(ポレポレ)を主宰し15年。 POLEPOLEとはスワヒリ語で「ゆっくりと」という意味。多彩なゲストを招いて、講演、音楽、舞踊などを楽しむ。時には旅行も。せわしい現代社会にあって、「ゆったりとした楽しいひととき」を参加者と共有する。鼓の久田瞬一郎先生の講演、タップダンス鑑賞、津軽三味線、中国琵琶、胡弓の演奏を聴く会を催した。これからの企画にも夢がいっぱい。それが美貌の秘訣の一つ。他には、常に自分を「時の女性」と思い込むことだと。これまでは「藤原紀香」「愛子さま」。最近は「あやや」。 「花紀行」も主催。月に1回、参加者を募って名所旧跡を散策。機知とウイットとユーモアに富む熟塾の重鎮。
大阪市主催の「なにわ塾」の梅渓先生の講座で原田代表と知り合い、熱っぽく「熟塾」を語る原田代表に共鳴しました。大阪について学び、発信していこうという姿勢はすばらしいと思います。 97年11月の「河内厚郎氏の大阪を紹介するキーワード20」に初参加。母と一緒に参加した99年暮れから00年の正月にかけての「なまはげの祈りと共に迎える2000年秋田ツアー」では、秋田の方達のあたたかいおもてなしを受けた得がたい体験であり、忘れがたいお正月です。 熟塾のホームページを担当。
老舗「花外楼」5代目女将。 熟塾の無理な願いを何度も聞いていただいた。03年2月の「朝鮮通信使について学び、饗応料理を食する会」では、江戸時代に朝鮮から迎えた文化使節団への饗応料理の再現、04年の「大阪伝統野菜を味わう・天王寺蕪丸かじりコース忘年会」では、天王寺蕪を使った数々の創作料理、05年の「ピース大阪見学と体験談に戦後を味わう会」ではすいとん等の戦中戦後の食事の再現など。「仕事とは関係なく、大阪からの文化・情報の発信に情熱を燃やす原田代表のような人が大阪にいることが嬉しい」と。 政治では解決できない問題も、文化、音楽、美術などの芸術で越えることができる。熟塾のような活動は国を越える意味でも大切。人間の視点で語る熟塾にはいい出会いがいっぱい」とも。 趣味は油絵。個展、グループ展を何度も開催。平成5年には絵(6号〜50号の6点)とエッセイからなる「川のほとりで」を出版。
友人の紹介で、99年4月のイベント「錨を上げろ!帆船"あこがれ"大阪湾体験クルージング」に初参加。非常に面白かったので入塾。仕事柄、休日が定まらず、熟塾のイベントにはなかなか参加できないのが残念。「熟塾は、多様な職業の人、幅広い年齢層の人たちの集まりなので魅力的なサークル。すばらしい人たちばかりで、熟塾は僕の財産」と。 99年暮れから00年の正月にかけての「なまはげの祈りと共に迎える2000年秋田ツアー」に参加。 旅が大好き。神戸新聞社勤務。 (写真:湧き水を沸かしての1杯のコーヒーに幸せを感じる時 [奈良県天川村にて]05年9月)
欣は欣喜雀躍のように「非常に喜ぶ」という意味です。祖父がどんな時にも喜びを見出せる子になるよう名づけてくれました。 平日は家業の文房具・事務用品店で働いています。その他、土日はホテル等で着物着付けのお仕事と着付け教室も開いています。好物は歌舞伎、文楽鑑賞、十一面観音、ありの実、林檎、人(食べはしませんが...アハハ)ets。 私が熟塾の名前を知ったのは2005年2月の新聞の紙面でした。「モダニズム心斎橋」 ーー ふんふん興味あるある(森の心の中の呟き)。「熟塾..........」 な、なに、何か変わった名前やこと(森の心の中の呟き)。早速ホームページを見る。「へー いろいろ活動してはる、凄い!」ということで、面白そうなので参加させて頂くことになりました。 原田さんはじめ塾の諸先輩の皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。
96年8月、日経新聞に掲載された熟塾イベント「阿闍梨の道を行く」の記事に感動。ボランティアや紀行などがミックスされたサークルを探していた時なので即、入塾。2ヵ月後、介助犬シンシアを世に送り出す企画に参加。達成感を味わう。受付・瓦版の発送作業など裏方班をリードする。 05年8月には、戦争のことを勉強させたいと小学6年のお孫さんと「ピース大阪見学と体験談に戦後を味わう会」に参加。御本人は、終戦の年は1歳。父親が、心筋梗塞で危篤状態から覚めたとき、意識が朦朧とする中、「赤紙がきた!」と叫んだときのシヨックは今も鮮明に。お孫さんのためにも平和な世の中を願ってやまない。
好きな俳優はイ・ビョンホン。「おじいちゃんと二股かけている!」とのお孫さんからの指摘も。ヨン様は?「彼は胡椒のないラーメン」。(「ヨン様ファンには失礼かな」とちょっぴり心配に。)
熟塾立ち上げ時からの最古参メンバーの一人。すでに80歳を越えているが矍鑠(かくしゃく)として輝き、塾生の憧れの的。おしゃれのセンス抜群。 「熟塾イベントのバスツアーで方々に連れて行ってもらった。特に96年8月の「阿闍梨の道を行く」(比叡山)は思い出深い。熟塾は、年をとっていても若い人と同じように扱ってくれる。このような会は他にない」と。原田代表と最初に会ったのは「大阪ことば・なにわことば」の勉強会。「原田さんは、自分の娘みたい」とも。 また、 「熟塾の催し物に参加して若さの気をもらい、元気になるんです」と、05年10月12日の「落語会に行こう!上方落語のツボを知る」の会場でインタビューに答えてくださいました。(写真は会場のドーンセンターにて)