懐徳堂は、大坂町人の手によって設立、運営されていた。このことは近世日本の文化史ないし学問史のうえからは、画期的な出来事であり、どうしてそうしたことが起こり得たか、また起こららざるを得なかったが歴史的興味をひく。含翠堂、懐徳堂、適塾について講義をうけた後、船場道修町のコニシ株式会社の旧本社、続いて適塾を見学した。
コニシ株式会社の旧社屋は平成13年に重要文化財に指定された建造物であり、見事な破風と黒壁塗りの堂々たる佇まいは明治期の商家造りの特徴と面影を今に伝えている。
適塾も史跡・重要文化財であり、商都大阪北浜のオフイス街に江戸時代の町屋の姿を現在に留めているばかりでなく、わが国蘭学塾の唯一の遺構である。現在の建物は昭和51年〜55年にかけて解体修復工事されたものであるが、ヅーフ部屋の中に足を踏み入れると、ここで福沢諭吉や大村益次郎などが辞書を奪い合って猛勉強をしたのかと思い起こされて感慨深い。
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